当前位置:主页 > 硕博论文 > 社科硕士论文 >

以《挪威的森林》为例研究相同语境下的中日同形同义词问题

发布时间:2014-09-20 20:08

【摘要】 中日两国是一衣带水的邻邦,友好交往的历史源远流长,中日两国又同属汉字圈,在使用语言交流的过程中难免存在相互借用、相互影响的情况,正因如此,在中日词汇中出现了大量的同形词。这些同形词的存在对以汉语为母语的日语学习者来说是一个不可回避的问题。因受母语干扰,在学习日语时部分同形词汇会带来各种消极影响,对以汉语为母语的日语学习者造成一定的干扰,从而导致误用的产生。本文以中日同形词为基础,采用社会语言学调查方法,对以汉语为母语的日语学习者在学习中出现的误用情况进行偏误分析,以求找出中日同形词影响学习者们正确使用目的语的原因。本文在前人研究的基础上对中日同形词的概念及其分类作了详细说明,并对同形词的比例做出统计。之后针对分类及统计结果进行整合,设计调查问卷对以汉语为母语的日语学习者进行分类抽样调查,以求了解其在学习中日同形词时的误用情况,找出影响各阶段学习者出现误用的问题点,和各类同形词的误用率,并对高误用率题型进行举例分析。最后针对调查结果得出的误用情况详细分析中日同形词对以汉语为母语的日语学习者的影响及产生影响的原因。 

【关键词】 日本語; 日语学习; 挪威的森林; 学生服; 日本文化; 语言学角度; 人間; 语义扩展; 母语负迁移; 多义结构;

第一章  はじめに 

 

1.1  研究動機 

日本と中国は古来から盛んに文化交流を行ってきたため、たまたま漢字を共有するという、歴史的な縁がある。これによって、中国語を母語とする人は日本語を第二言語として学習する際、漢字の習得や単語の記憶、また意味の把握などには利点が大きい。しかし、現代語について例を挙げてみると、表記の差異を認める上に、意味の食い違うところも相当であろう。すなわち「漢字の落し穴」もいたるところにあるので、学習者にとっては十分な注意を払わなければならない。 

一般に中日同形語は意味領域が中日両言語において対応しているかいないかによって、同形異義語(「大丈夫」?「手紙」?「娘」)、同形類義語(「事業」?「深刻」?「大事」)、同形同義語(「正直」?「単純」?「質問」)と三つに分けられている。「同形異議語」が中日両語間で意味がまったく違う場合は、それぞれの意味項目を覚えてしまえば「漢字の落し穴」に陥ることはめったにないのであろう。しかしながら、「同形異義語」でも意味項目の多い多義語であれば、および特に「同形類義語」である場合は、区分するのがきわめて厄介で、同形の穴にはまって意味を取り違えたり、使い方を誤ったりすることがよく見られる。 

「同形同義語」は語形が同じである上に双方の意味も同じでほとんど重なる語のことである。ここに、「健康」と“健康”を例として説明する。『広辞苑』による解釈は「身体に悪いところがなく心身がすこやかなこと」である。『現代漢語大辞典』では、「からだの各部分にぐあいの悪い所が無く」1と述べていた。つまり、両方とも基本的な意味が「肉体的?精神的な異状が無い」ということで、共通している。したがって、「体が健康である/身体很健康」、「健康な体/健康的身体」のような表現が普通である。 しかし、日本語においては「健康に注意する」と言われるが、中国語で表現すれば“注意身体,注意身体健康”というのが自然である。また、「健康がすぐれない」という表現に意味の対応する中国語は“身体不好,健康状况不好”である。それに「(…が)健康にいい/对身体好,有利于健康」、「健康を祝う/祝身体健康,祝健康」などの例が挙げられる。そのほか、「健康な笑い」、「健康な考え」、「健康なレジャー」などと表現する場合はどう対応すればいいのか。 

つまり、基本的な意味が同じであるのに、「健康」と対応する中国語は必ずしも“健康”とは言えないのであろう。すなわち、同義語といっても、具体的な表現においたらやはり差異が出てくる。それなら、中日同形同義語において、このような差異が一般的に存在するのかという質疑が浮かんできた。それに、差異の引き起こす原因はどこにあるのか、両民族の間に物事についての認知はどれぐらい異なるのかを究明しようとする。  

 

1.2  研究目的 

第二言語習得の理論では、外国語学習者は第一言語すなわち母語から、すでに学習した第二言語への影響を「転移(Transfer)」と言う。転移は正の転移(Positive transfer)と負の転移(Negative  transfer)に分けられている。転移がマイナスに働く場合を「干渉(interference)」と呼ばれている。干渉には、第一言語が第二言語に、さらに第二言語が第三言語に干渉する現象と、その逆に、後の外国語が先のものに影響する現象とも含めているのである。つまり、母語干渉という障害が外国語学習の早い進歩を妨げてしまうのである。 

中国語を母語とする日本語学習者(Chinese Native Speaker Japanese Student、CNSと略称する)は中日同形語の学習について、親しみを感じる一方で、意味のずれやニュアンスの違いがあるため、母語干渉に由来する誤用の例も相当であろう。本稿は、中日同形同義語を中心に、母語からの干渉を最小限にすることを目的とする。  

 

第二章  中日同形語に関する先行研究及びその問題点 

 

中日同形語についての研究は中国と日本とはほぼ同じ時期で、八十年代から盛んになってきた。まずは同形語の定義を検討し、また意味分類に従い、及び各自の意味の形成する原因を解明し、そのほか意味の食い違いによる誤用を分析するというような研究がずいぶん多い。しかし、今までの研究では、同形語自身の特性からも、日本語教育の側面からも同形類義語と同形異義語を中心にしたが、同形同義語に関する研究はまだ少ない。さらに、近年ごろ、認知意味論の新しい視点から、中日同形語の意味分析を行なうようになってきたが、やはり個別的な同形語しか扱わなかった。 

 

2.1  中日同形語の定義 

趙福堂(1983)では、中日両言語における共通の漢字を観察するとき、字音を考慮せず、字形や語義についての比較研究を中日同形語の比較研究と定義した。それに、同形語の認定する基準を三つ提出した。一つは、字形が同じであれば、字音や語源にこだわらず、両国語においても単語として認められることである。また、語尾を取り扱わないことと、字形を簡体字から繁体字へと取り戻して比較することである。 

中日同形語の定義について、大河内康憲(1986)では、同形語とは双方同じ漢字で表記される語だけでなく、歴史的に相互に関連がある上に、両国においても現在使われているものを取り上げるべきだと指摘した。 その上、潘钧(1995)では、大河内氏の観点を認める以上、両国における字形の違いと送り仮名の有無、また形容動詞の語尾も無視してもいいという意見を提出した。そのうえ、二字的字音語が最も多いが、ほかに三字的字音語も四字的字音語もあることを明示した。さらに、中日同形語についての研究は教育と対訳に基づくべき、借用関係の考究と区別をつけ、共時的な研究に限定される必要があると述べた。 

さらに、翟東娜(2000 浅析)では、中日同形語を字形が同じであるもの及び似ているもの、特に漢字音読語であるものと定義した。 

そのほか、王暁(2004)では、「中日同形語が主に両言語においても同じ漢字で使用されているものを指す」と表明した。 

つまり、中日同形語を字形、字音また語源などの面から認定されているが、画一的で明確的な定義はまだないようである。そのため、中日同形語について研究を行なうとき、研究対象を確立する必要があると考えている。  

 

2.2  中日同形語の分類 

一般的にいえば、中日同形語はその語の表す基本的意味領域が両言語において対応するかどうかによって分類されている。

日本において、文化庁(1978)では、 

中日両国語における意味が同じが、または、きわめて近いもの(S) 

中日両国語における意味が一部重なってはいるが、両者の間にずれのあるもの(О) 

中日両国語における意味が著しく異なるもの(D) 

日本語の漢語と同じ漢字語が中国語に存在しないもの(N) というように分類されている。 

遠藤(1992)では、日中同形類義語と日中同形異義語」に言及した。特に同形類義語については、   

日中同形類義語には、両国語における意味はほぼ同じだが、ニュアンスのちがいがあるもの、または、意味は同じだが、ほかの語との組み合わせや使う場所と場合などにちがいがあるもの、つまり使い方がちがうもの、あるいは、両国語における意味が

あるもの、または、意味は同じだが、ほかの語との組み合わせや使う場所と場合などにちがいがあるもの、つまり使い方がちがうもの、あるいは、両国語における意味が

一部重なっているが、重ならない部分もあるものなどが含まれる。 と説明していた。 

高野(2002)には、同形語の意味による層別を三つ立てた。すなわち、両国において意味が一致する語、意味が一部重なるが両者の間にずれのある語、意味が著しく異なる語というようなものである。 

国内では、趙福堂(1983)には、中日同形語を意味の同じもの(「科学」?「文学」)、また意味のずれているもの(「黒幕」?「愛人」)と意味のまったく異なるもの(「老婆」?「用意」)と三つに分類してある。 

劉富華(1998)は、語義の角度から、中日同形語を同義同形語、異義同形語、意義の交錯する同形語と三つに分けている。しかも、同義同形語は語義が範囲、軽重また用法などの面において完全に対応しないと述べていた。 

王曉(2004)は、中日同形語における意味のパターンが三つあると指摘した。すなわち、意味がほとんど一致するもの、また一部しか一致しないものと異なるものである。 つまり、中日同形語の分類する方式は四種類?二種類?三種類とされている。最も大いに採用されているのは、同形同義語?同形類義語?同形異義語と三つに分ける方式である。しかしながら、どちらの分類する方式でも、分類する基準と限界があいまいで、中日同形語を位置づけようとしてもなかなかはっきりさせないのではなかろうか。 

 

第三章  中日同形同義語に関する比較研究......................5 

3.1  研究対象.........................5 

3.2  研究手段............................6 

3.3  研究内容................................6 

3.3.1  原文における中日同形語..................7 

3.3.1.1  中日同形語の採録.................7 

3.3.1.2  同形同義語の比率................8 

3.3.2  訳文における同形同義語...................9 

3.3.2.1  具体的な文脈及び対訳.................9 

3.3.2.2  同形同義語の使用状況..................10 

3.3.3  認知意味論による意味分析.................18 

3.3.3.1  同形同義語の選定...................18 

3.3.3.1.1  典型的な同形同義語................18 

3.3.3.1.2  文脈における使用状況...........19 

3.3.3.2  多義語分析の方法..................23 

3.3.3.2.1  理論的支え...............23 

3.3.3.2.2  分析の展開.............24 

3.3.3.2.3  多義語以外...................29 

第四章  おわりに...............30 

4.1  調査の結論.............................30 

4.2  今後の課題.......................30 

 

 第三章  中日同形同義語に関する比較研究 

上述のように、今まで中日同形語についての研究は多くの成果を得たが、まだ不十分なところもあると思う。ここで簡潔に言えば、三つの問題点が残っていると考える。すなわち、同形同義語に関する研究が少ないこと、同形同義語を学習するとき正の転移が起こること、同形語の意味分析に具体的な文脈が足りないことである。本章がこれらの問題点に焦点を合わせて調査研究を行なう。 3.1  研究対象 

まず、「中日同形語」の認定する基準を設定しなければならない。すなわち、中日両言語においても、同じ漢字表記で書かれていて、現在にも使用されているもののことである。そこで、『広辞苑』(第五版)と『現代漢語大辞典』(漢語大辞典出版社)によって、中日同形語を認定する。第一に、この二つの辞書において見出し語でないものはいっさい採録しない。それに、繁体字や簡体字による字形の差異が認められている。しかし、日本語において送り仮名や形容動詞の語尾が付いているもの、また仮名で書かれているものは取り除かれていた。 

次に、研究する範囲を「漢字音読語」に限定することとなる。言い換えれば、漢字表記で書かれていても読み方は音読でないものは排除される。 

後は、「同形同義語」に焦点を当てることである。すなわち、既に採録した同形語の中に、文化庁(1978)によるS類の同形語を抜き出すことである。 

しかしながら、文化庁(1978)は、日本語教育に基づき、初級?中級の教科書から同形語を選ぶことと漢字音読語に限定することにした。そのために、文化庁(1978)に採録された同形語は全体の同形語ではない。それにもかかわらず、採録された同形語が日本語教育の面において、今でも有意義なものである。 

つまり、本稿が研究対象とする中日同形同義語(S 類)は中日同形語の一部に過ぎないが、それは日本語教育に役立てば意義のあるところではないかと思われる。  

 

第四章  おわりに

 

4.1  調査の結論 

要するに、本稿が『ノルウェイの森』という村上春樹の小説から抽出した中日同形語、特に同形同義語を中心にして考察を行なわれた。すなわち、採録した同形同義語を林少華と頼明珠による二つの中国語の訳文における訳語と対照しながら、具体的な文脈における意味を検討した。さらに、認知意味論による多義語分析の方法に基づき、取り出した幾つかの同義語について、図式によって意味拡張を示した。それによって、中日両民族において物事の認知上にささやかな差異が存在することを明らかにした。かいつまんで言えば、本稿が以下の三つの結論に達した。 

1.  中日同形同義語はかなり大きな割合を占めているため、基本的な意味が同じだとしても、軽視するわけにはいかない。 

2.  中日同形同義語は具体的な文脈において、意味の食い違うところがある。そのために、一概に CNSは同形同義語を学習するとき、正の転移が生じるとは言えないが、母語干渉という負の転移も起こることに十分な注意を払わなければならない。 

3.  中日両民族の認知上にある差異は、多義語である中日同形同義語の文脈における意味のずれを生じる根本的な原因である。 つまり、これが中国語を母語とする日本語学習者に、同形同義語における誤用を減少することに役立ちたいと考えている。 

 

4.2  今後の課題 

前に述べたように、本稿は『ノルウェイの森』における第一章から第三章までの部分において調査研究を行なった。それに、同形同義語を中心にして文脈における意味を検討したが、同形類義語と同形異義語にまで及ばなかった。しかも、同形同義語の意味構造を分析して比較したものは一部しかなかった。つまり、研究する範囲が非常に有限である。中日同形語を系統的に扱い、具体的な文脈における意味を検討し、同形語の意味分析を一層進化させ、各自の相違点を明晰する比較研究が、今後の課題になると思われる。 

 

参考文献:



本文编号:9095

资料下载
论文发表

本文链接:https://www.wllwen.com/shoufeilunwen/shuoshibiyelunwen/9095.html


Copyright(c)文论论文网All Rights Reserved | 网站地图 |

版权申明:资料由用户dd737***提供,本站仅收录摘要或目录,作者需要删除请E-mail邮箱bigeng88@qq.com